T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

495・中島みゆき「バス通り」

臨月

1981年3月5日発売の中島みゆき通算8作目のアルバム『臨月』に収録。

当時、オールナイトニッポンも3年目に入ろうとしていて、シングルも累計10万枚以上の高め安定のところへ「ひとり上手」のヒットで、それを収録したアルバムも年間TOP10クラスの高セールスに。

他にも、人気投票などでは「夜曲」がまあまあ上位で見かけたし、また発売当時は「雪」が泣ける定番と化し、長年のファンにはシリアスな「友情」が人気と、なにかとフックの多い作品だ。

で、その中でLPやカセットのB面1曲に収められたこの「バス通り」。実は私、この作品を15年間ほどハッピーエンドの楽曲だと勘違いしていたのだ(嗚呼!)。歌詞はこちら

どう解釈していたかというと(もう本当に恥ずかしいのだが、あくまでも30年前の私です)、

別れた男と再会した女性が、「あの日はほんとは待っていてくれた」と誤解を解き、主人公の女性と男が「二人ひとつの上着(で)かけだしてゆく」、つまり再び愛に走り(だから、店は歌が流れ出して、新たな人生が走ることを象徴、と解釈)、私は「ガラスの指輪」つまり、誤解していた間の偽りの愛に終止符を打つ。

なんて真逆に考えていたのだ。多分、中島みゆきにしては、明るめの曲調だからこそ、ハッピーソングだと確信していたのかもしれない。

しかし、実際は、男がバスを待ちながら昔の恋人(主人公の女性)のことを、誰か(おそらく今の恋人)と話をしていて、その後、元カノに気づき、気まずくなって(あるいはバスがいつまでも来ないのに業を煮やして)、雨をよけながら「二人ひとつの上着」で駆けていく。それで、主人公の女性も、ようやく昔の恋に終止符を打つ、といった具合だろう。


中島みゆきの歌は、時に激論に発展するほど、人によって解釈が大きく割れることがあるが、この歌に関しては、誰ひとり、昔の私のような解釈をしていなかったな〜。(ムキになって、ある時期、みゆきファンに出逢うたびに、「この歌はハッピーエンドか?」と尋ねまくり、ほぼ30連敗だった。あっ、「ハッピーエンドかもね」と言ってくれた人が1人いた。理由は、「そんな昔の女のことをベラベラ喋るような男と別れて良かったじゃん」とのこと。・・・結局、わかれうたという解釈はブレていない(笑)。

でも、考えてみたら、読解力うんぬんより、「中島みゆきと言えば、別れ歌に違いない」という先入観を以て聴けば、すんなりそんな歌だと理解できるなぁ。

当時(といっても、この歌をしっかり聴いたのは、バイトでCDを買い揃えた1987年頃)の私は、こんな性格なのに「暗い」と言われることに抵抗があり(笑)、中島みゆきの楽曲からも、幸せな要素を見つけようと懸命だったのかもしれない。

ということで、時代や聞き手の年齢によって、より新たな解釈が出来るという一例でした。中島みゆきの歌って、そういう深さがあるのが魅力ですよね(と言って、当時の珍解釈を正当化する私(汗))。