T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

220・時間差攻撃 Part2

 前のコラムで、想いから夢の実現まで時間差があると書いたが、最も紆余曲折があったのが、やっぱり「岩崎宏美紙ジャケットコレクション」だろうか。今、うろ覚えだが

・1996年頃:仲間うちでQ盤(旧譜プラケース再発盤)が初期9枚で止まっているのは、どういうことやねん!とボヤき始める

・1999年3月:音楽業界に転職後、仕事のついでにV社に連れて行ってもらい、その意志を伝えるが、「売れないでしょう」と苦笑い。ただのカバン持ちの意見に耳を傾ける程、皆ヒマじゃなかった(当然)。

・2003年頃:V社で他の仕事がうまく進んできたので、その実績から“20万枚以上売れているのに、CD化されていないアルバムがあるんですよ”と吹き込み(笑)、まずは『夕暮れから・・・ひとり』だけでもと提案するが担当者異動で流れる

・2004年、30周年BOXでT社から選曲構成のお話をいただいたので(これも、同社で別のアイドルの仕事がうまく行っていたから)、その流れで旧譜復刻も推薦したが、「それはV社の仕事だから」と一蹴(あぁ、権利関係が全然分かっていなかった私!)

・2005年、とは言え、偉い人が動けばその限りではない(01年にT社から発売された『バラード・ベスト・コレクション』も大半が他のV社音源だし)、ということを別の仕事で学び、それならばとT社の飯田社長(当時)に直談判を2度ほど(するが、他にも社長案件が多数あり、なかなか進まず。そりゃそうだ、飯田さんのお人柄を頼って、大量の相談が来ていたのだから。)

・2006年、春:再度、V社の企画部署に正攻法で提案するも、ディレクターが皆、コンピとか現役アーティストもので忙しいと言われ頓挫。

・2006年、秋:V社のMディレクターが手をあげて下さり、お顔合わせ。そして、年末からご本人インタビューなど準備開始。

と、憶えているだけでも5回は払いのけられているのだ。その度に、あぁ、自分が無名だからだなとか、仕事の進め方が悪いんだろうなとか、頭を打ち続けては、それならば、これはどうだ、と往生際悪く動きつづけたのが、結果的に夢が実現する方向に

 とはいえ、今も「(たとえ後にヒットしようとも仕入れ時にお店の人がピンと来ないCD」ばかり作っているという課題が残りっぱなし(苦笑)。やはりなお、勉強も経験もまだまだ不足中。人生は止められない

追伸:ちなみに、ヒロリン第1期のリイッシューは各300枚の初回出荷。そりゃあ、発売直後、製造が追いつかずパンクするわ。いかにお店も、V社のお店への営業も売る気皆無だったかがお分かりになるだろう。いえ、やる気にもならない作品ばかり企画する私が悪いのですよ(苦笑)。ともあれ、早期の予約って、本当に大事〜。