T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

487・「縁」と「一期一会」

一期一会

熊本・大分の地震、早く落ち着きますようにと心から願う。

さて、1月〜3月は、またまた忙殺されていた。執筆以外で、不特定多数の方に向けての文章はなかなか入力が進まない。Twitterは文章というより、単なる呟きだし(笑)、逆に言えばそんな風にスラスラと文章を書ける人が羨ましい!

で、そんな最中、3月にどうしても逢いたい人がいた。その方とはある時期懇意にさせてもらったのだが、昨年の春、急に海外転勤が決まり、「お別れ会」的なこともできないままに、遠くに行ってしまわれた。その方が、約1年ぶりに出張で日本に帰ってこられるというのだ。

ただ、今回は会社の用事が済み次第、またすぐに帰国しなければならないという。だったら、相対的にヒマな私の方が動いて、どこかで時間を作りましょうと提案した。これまでメールで何度もやり取りしていたが、実際に逢えた時に、もっとちゃんと伝えたいことが沢山あり、その日まで心はワクワクしたりドキドキしたり。・・しかし、実際は逢えなかった。私の方は仕事を早く繰り上げ、空港や宿泊先などで時間を合わせたのだが、それでも、どうしても逢うことができなかった。

その方からは全く時間がなかったと言われたが、真意は分からない。本当に数十分の余裕もなかったのかもしれないし、帰国中、連絡が取れなかったのも、Wi-Fi機能をONにするのを忘れるほど、多忙だったのかもしれない。また、実は多少の時間があったかもしれないが、重要な会議があると聞いていたし、その直前に人と逢うことがストレスだったかもしれないし、「同僚」「家族」など様々な案件の中で私に「逢いたい」と思わせる動機付けが欠けていたのかもしれない。ただ、「逢えなかった」という事実だけが残った。そして、それを恨むこともなく、所詮はそれくらいの「縁」しか私には結べなかったのかもしれない、と自分に言い聞かせた。

そんなことを考えて、年齢を重ねていくうちに「逢う」ことは、なんて難しいことなのかとあらためて実感した。

まず、時間の都合をつけることが難しい。仕事の都合、家庭の都合、30代後半から40代になると本当にこの辺のやりくりが大変だ。忙しく仕事をしながら、子育てや親の介護などに時間をかけている人とそうでない人とでは、この部分が全く異なる。また、中高年になると自身の健康状態も重要になってくる。体が丈夫でも「気が乗らない」ということがそれ以上に負担になることもあるだろう。

さらに、限られた自由な時間の中で、誰とどう過ごすか考えた上で、逢える相手を選ぶこともあるだろう。その時に、仕事のつきあいをからめた方が自身のスキルアップになるという考え方もあれば、むしろ仕事から解放された人と逢うことで、ストレスを発散できるという人もいる。それも人それぞれで、どちらが正しいとかはない。

そう考えると、やはり自分に「逢う」ことを選んでくれた相手には、いっそう感謝せねばと思えてくる。実際、そのうち「逢おう」と考えていたら、行方が分からなくなってしまったり、亡くなってしまわれたりも、普通にあるようになってしまった今の年齢、今の時代において、まさにそれが「一期一会」になることも多いのだと痛感させられる。

だから、「逢える」ことって実はとってもミラクルなのだ。