T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

51・優しさの種を蒔けば

 今月は、通常のアンケート分析やら、日経エンタ!等の執筆やら、次のコンピレーションの準備やら、CDジャーナルでの楽曲データベース整備やら、各メーカーでの戦略資料作成やらで、相変わらずチマチマした仕事をいただいて、忙しく楽しくしておりました。ファンのニーズと、メーカーのシーズの合致する点を、マーケットが動く方向に見つめて支援する。ただ・この単純作業(爆)だけで私は生きています。


 さて。先日、友人の経営する飲食店の電話番号を探したのだが見当たらず、そうだ!と思いネット検索をかけてみた。そうすると、何件も出てきて「あ〜、やっぱりいいお店だもんね〜」とメモっていると、その下に「口コミ評価」とやらが付いていて、興味本位で覗いてみたらあまりの酷さに驚いた。私は、いつも喜んで食していいて、“千円以下で胃もたれせずボリュームも多く当然満点”と思っていたのに、5点満点で2点とか3点とか低い点数でどんどんジャッジされているのだ。その店だけではなく、周囲の行列が出来るお店でも1点か2点なんてのも少なくない。私は、ユーザー評価って音楽でしかまじまじと見たことがなく、音楽では、よほど手抜き感ありありの作品以外ならば、アンチファンや需要/供給バランスが理解できないワガママ君を除くと大抵4〜5点で、減点していても改善型の提言があったりが普通だと思っていたのだが、飲食店の評価を見てみると、あまりに手厳しい。


ある定食屋に対して「3点・・・お替りが3回までしか出来ないから」
(↑オイオイ、600円の定食でどこまで要求するの??)とか


とか、はたまた、あるステーキハウスに対して
「2点・・・肉ばっかりで飽きる。ピザとかも置いてほしい」
(↑どこに来てんだよ!?素直にファミレス行けば?(笑))


とか、もしかして、これってネタ??、あるいはライバル店との中傷合戦??、と勘繰ってしまうほど、およそ字面どおり理解できない言葉や評価が並んでいるのだ。こういうのを見ていると、人間というのは、他を見下さずにいられない生き物なのかな、それで、一番身近な飲食店から標的にするのかな、なんて思ってしまう。私なんて、音楽のジャッジだけでも精一杯なのに、映画・本・ゲームなど他のエンタメですら到底評価などできない。それは、善人ぶって人を見下せないというよりも、他のエンタメに関してはあまりに知識不足で「自分が面白くない」のは己の理解力の問題だと思うことが大半なのだ(苦笑)。飲食店なんて、マニュアル通りすら料理が出来ない私にとっては、経営が成り立っている時点で神様仏様!(笑)


 それにしても、こうやって悪評をバラまいた人は、いったい何の得があったのだろうか、とふと思う。仕事での気配りや、家族サービスなどリアルな日常で“優しさ”を使い果たして、ネットではつい悪態をついてしまうのか。それとも、真逆で、仕事や人間関係で上手くいかず、どこかしら人を貶めて、相対的に自分の存在意義を浮上させることで、どうにか日常を平穏に過ごしているだろうか。すっごく仕事に厳しい殿方が、泥酔するとドMに豹変する姿を目の当たりにすると(笑)、やっぱり人間にはバランスがあるんだな〜なんて実感するし、バーチャルな部分をはけ口として日常がうまくいっているのなら、それはそれで良いと思う。けれど、こと“他を評価すること”に関しては、バランスなど考えずに、積極的にプラスの言葉の種をどんどん蒔いた方が幸せの芽が育つように私は感じている。人を的確に褒めるのって難しいこともあるけれど、それ自体が勉強になるし、そうしてポジティブに意見することで、相手も励まされるし、何より自分自身も気分がすぐれる。私のような者でも、それを心がけるようになってから、もう何年も公私共に身分不相応な恩恵を受けているように感じる。それは、やはり実力とかじゃなく、ちょっとした“優しさの種”を拾って下さる方が周囲にいるからだろうと確信している。


 だから、実生活でもネットでも、そういう優しい関係(by中森明菜のc/w佳曲、ブライアン・セッツァー作曲・編曲です)が少しでも広がればいいな〜〜と私は思う。