T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

56・ライター NOR 評論家

 先日、青山一丁目にあるW社の邦楽部署に、執筆に必要な資料を請求したが一向に届く気配なし。つーか、イマドキ、こちらが連載の内容や名前を言った後、「お世話になります」の「お」の字も返さない会社があるのか?? それとも、「ちわーす、めざましテレビ、ブッキング担当の○○ですが」とか言ったなら、途端に態度を豹変させ「お世話になります〜」とか猫なで声で返すのだろうか(言うたろか!(怒笑))。 あるいは、この子はレーベル内で社員から奴隷的冷遇を受けていて、外部への応対電話が唯一のはけ口となっているのか、と妄想したり。とにかく、昇り竜の外資系企業とは思えない電話応対に驚き。電話は重要な窓口だとつくづく実感。注意しよう(←私は一流でもないが(笑))。


 ところで。既に知っている人から第三者に紹介される際、私が違和感を抱いてしまう肩書きが「音楽ライター」だ。確かに執筆の仕事もしているが、それは自分の収入源のうちのほんの一欠に過ぎない。また、「音楽ライター」を明らかに下目線で見る一部の人の応対が頭をよぎるのもやや不快だ。 そして、何より嫌なのが、多くの音楽ライターが “その記事を読んでCDやLIVEに興味を持つ人を増やすこと”よりも “その記事を書くにあたってアーティスト本人に会える自分” を優先しているように見えるからだ。(だからこそ、下目線で見られてしまうのかもしれない。勿論、そうでない素晴らしいライターもおられる。) 私は、やはり自分の文章が「購入のキッカケ」や「ファンになるキッカケ」になるように努めるのが「音楽ライター」だと強く思う


 そして、さらに嫌な呼称が「音楽評論家」だ。もちろん、一人について無心に語る「音楽ライター」ではなく、音楽市場全体を俯瞰しようとするという意味で「音楽評論家」と呼んでくださるのかもしれないが、私の中で、評論家というのは 所詮“蚊帳の外で言いたい放題”の人という思いがあるのだ。現に、フォーク&ロック系の楽曲の歌詞で「評論家」が出てくるものは、すべて彼らを否定するものばかり。つまり、「音楽評論家」と呼ばれた時点で、「どうせ、こちらの事情なんて本気で考えてないんでしょ」と突き放された気がするのだ。特に、音楽業界のうちパッケージに焦点を当てれば、“右肩下がり”とかネガティブな文章を書くのは、評論家じゃなくても誰にだって出来る事だ。 けれども、その中から、どうすれば、音楽業界が、引いては世の中がもっと面白くなるのか、もっと明るくなるのか、を考察出来る人ならば良いなと思う


 そんな理由で、「音楽アナリスト」もしくは「音楽マーケッター」で挨拶しているワタクシ。哂われようが、陰でインチキと呼ばれようが(過去のダイアリー参照http://d.hatena.ne.jp/usutaka96/20071028)、やっぱり その内部にいて事実を見つめ、痛みを共感し、そしてそれを改善する方向を考える存在であり続けたい。・・・・道は遠い(苦笑&微笑)。