T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

144・ジェラス・トレインが歌えるか

 ここ1ヶ月、早朝に家を出るとめちゃくちゃ寒い。そんな時、頭の中には冬の名曲がザクザク出た1984年12月(ジュリアとか飾りとか恋の予感とかいっそセレナーデとか)か1997年10月(WHITE LOVEとかWHITE BREATHとかWanderin' Destinyとか)のランキングが勝手に再現されるんだけど、その日は前者の84年が浮かび、頭の中に切ないサックスの音色が流れ「これは『抱きしめてジルバ』か『北駅のソリチュード』かどっちかな〜」と自分でも混乱し、とりあえず右のステレオからチチチチッと鳴り続けている「北駅のソリチュード」を脳内妄想BGM(笑)にして事務所に向かった。

 その4分後、「次(のシングル)は、『ジェラス・トレイン』だな〜、前作と電車繋がり、悲しみ繋がりだったんだな〜、売野雅勇はこういう哀愁路線を河合奈保子によほど歌わせたかったんだな〜(その辺の経緯は『JEWEL BOX2』のライナーノーツに記載)とか勝手分析をしていたら思い出した…。

 私、1985年〜1986年、おニャン子クラブを筆頭に、多くの女性アイドルが出てくる度、そして彼女たちがことごとく河合奈保子のセールスを超えて行く度、そのファンの男子女子に向かって「お前の好きな○○(アイドル)は、『ジェラス・トレイン』が歌えるか??」などと意地悪な質問、いやこれは反語形を使ってこっぴどく否定していたように思う。(あぁ、ごめんなさい。)ファンの人達が「歌が上手いかどうか」だけをアイドルに求めている訳でもないのに!!どうしてあんなに必死だったんだろう。自分を肯定するため?よっぽど「ジェラス・トレイン」にハマってたんだろうなぁ。

 そして、その後、自分の中で許容できるアイドル基準は、潜在的には詰まるところ“「ジェラス・トレイン」が歌えるか”になっていったのかも。(だから、宏美さんも後追いでコンプリートしたんだと思う。なお、ここでの「歌えるか」は、正確に歌えるかどうかより、自己流に表現できるかを、私が想像できるかだったと思います。そうでないと、工藤静香が自分の中でOKのはずがない(笑))

 それと同時に、当時、目上の方たちが、八神純子渡辺真知子らを指して「こういう歌、アイドルには歌えないだろうよ」的に、諭されるのも全然理解できなかったのも思い出した。それは、やっぱり「ジェラス・トレインが歌えるか」が基準だったから、その人たちの念頭にあった (シンガーソングライター)>>(アイドル出身) という世間一般の通則を受け入れられなかったんだと思う。あー、やっぱり私はヒネクレ者。ひねくれ続けてはや25年。「ジェラス・トレイン」さえなければ、私は全く平凡な人間だったかも?流行歌1つで人生を変えてしまうなんて、あな恐ろしや! 
 ということで、こんなに歪んでしまった(苦笑)私の基準の大方を作り上げたのは「ジェラス・トレイン」だった、ということをあらためて認識した。だから、大ヒットだけで明るく楽しく生きてきた人と接する時は、「おかしいのは自分」(笑)というのを心して穏やかに接しようと思う。