T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

364・私の襟裳岬

襟裳岬

18歳の夏、私は1ヶ月もの間、北海道の襟裳岬えりも岬)にいた。理系ゆえの海洋研究とか、はたまた「センチメンタル・ジャーニー」とかそんなものじゃなく、単にコンブ漁補助の長期バイトをしていたのだ。お金を稼ぐ為ならば、それこそ高学歴枠を利用する手もあったのだろうが、受験勉強だけしていてヒョロヒョロな自分(確か高3の頃は168cm×45kgくらい。高校卒業後に背が少し伸び、体重が大幅増)に嫌気がさし、そうだ!北の大地に晒されれば人間的に強くなるだろうと考えた。いやぁ、なんとも子供な発想!おそらく青春にも酔っていたような気もする(大汗)。そこでの奇特すぎる様々なエピソードは書ききれないほどあるので、また後日にでも。

 そんな私が襟裳岬に行って一番学んだのは、「多少辛くても、途中で辞めないこと」だった。それも、大志があった訳ではなく、単純に途中でやめたら、バイト代が減るどころか、交通費を返金せねばならなかったのだ。携帯もなく、毎日怒鳴られっぱなしの親方の電話を借りることもできず(勿論、悪いのはいつまでも仕事を覚えなかった私です(笑))、未成年ゆえお酒も飲めず、周囲5kmにお店もなく、夜は月の光以外真っ暗になるという、全く逃げ場のない中で、「あと○日、あと○日」と毎日唱えながら眠っていたのを憶えている。あの時の、どうしようもない状況から比べれば、その後は随分とラクな人生だと思う。だって、たとえ逆境でも改善提案しながら生きられるのだから。だから、苦情が言えて、それを聞いてくれる人がいて、たまにでも状況が変わりうるのならば、そこはまだまだ良い環境なのです♪

ちなみに当時岬にあった歌碑は、島倉千代子版の「襟裳岬」だった。そう、当時はまだ森進一版の“何もない春”に街全体が総スカンだったのだ。そう考えると、私もずいぶんと昔の人間なんだなぁ〜としみじみ思う。