T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

493・大阪市大正区に行ってみた

予感

先々月のことになるが、大阪市大正区に行ってみた。2014年批判されまくったNHKの朝ドラマ『純と愛』(だがしかし、吉田羊や黒木華の地上波大量出演で、実は重要な存在)で、21世紀でも渡り船が重要な交通手段であるということが分かり、さらに調べると区の人口の1/4が沖縄県出身およびその親類の方との情報があり、これは、“ここにしかない日本”があるのではと思い、出張のついでに立ち寄ってみた。

↓こちらの方のブログが大変詳しいので、もし興味のある方は、一度予習されるのも良いかと思う。

http://ameblo.jp/amon3838/entry-11662154429.html

確かに、リトル沖縄あり、渡り船あり、海と太陽と工業地帯のコントラストがなんとも言えない昭和の既視感があり、ここでしか味わえない雰囲気が多分にある。

その一方で、なんというか、、、、きっと魅力と同じだけの問題がはらんでいるように私には思えた。そんな所ばかり見えてしまう私がおかしいのかもしれないので、以下はあくまでも一個人の感想としてサラリと見ていただければ。




まず、リトル沖縄だが、その名物の商店街のすぐ近くにスーパーマーケットがあり、こちらに人が集中し、案の定、沖縄系のお店で昼間に開いていたのは、肉屋、八百屋、和菓子など食料品関係の数店のみ。あとは、大半がシャッターを下ろしていた。行く前、観光案内の写真で、「シャッターに、シーサーが書いてあるって沖縄っぽくてよいですね♪」なんて説明を読んだが、そもそも日中にシャッターがそこかしこで下りているということ自体、笑ってはいけないような。。。

そして、渡り船。区内に7箇所の渡船場があり、ラッシュアワーにはほぼ10分おきに動いているのだが、それ以外の閑散期でも、15〜20分おきに出航していて、しかも、どれも大阪市が管理していて運賃はタダ。それは、本当に便利で有難いことなのだが。。。。これは、物凄いコストがかかっているのでは?と、ちょっと恐ろしくなった。ちなみに、私が乗った2回とも、乗船したのは私以外1組のみ。船の運航も2分ほどで済むので、それ以外の時間は、係の人も詰所でヒマそうに本を読んでいた。

とはいえ、千本松大橋(通称・めがね橋)と呼ばれるらせん状の大型の橋の下にも渡船場があり、行ってみるまでは「道路と平行して渡船場もあるなんて、ムダの極致では??」と疑ってていたが、いざ、その大型の橋を歩いて渡ってみたらビル10階分の高低差を上り下りしつつ、800mほどを歩くので、これは船がないと余程の物好きか運動好き以外はしんどいなと実感できた。でも、やっぱり閑散期でのこの本数の多さはビビってしまう。

そして、基本的に大通りは港湾地区に向かう大型トラックと、唯一の公共交通機関である路線バスがひっきりなしに走っているのだが(このバスの本数も凄まじかった)、裏通りは海沿い、川沿いを除けば、ごく普通の住宅街が多かった。いや、その「普通」のお宅の表玄関が凄かった。

まず、「普通」の家の洗濯機は家の表に置いてある。そして、物干し竿は、各家庭に隣接した歩道の上。さらに、その物干し台付近の歩道を見ると、植木鉢が“所狭し”どころか、むしろ所広しと、まるで歩道を占拠するように、各世帯が競うように置いてあるのだ。つまり、歩道までがそれぞれの家の持ち分(だから、この街ではやたら大型の植木鉢やプランターを多数みかけた(笑))。道路を歩きたい人は、車と同じように歩道の隣をどうぞ。裏通りなので車はさほど通らないし、歩行者をよけながらゆっくり運転してくれます。

文章だけで書くと、殺伐とした印象を受けるかもしれないが、実際の大正区は、ゆるやかに時が流れていて、決して治安も悪くもなく(私が住んでいる東京の方がよっぽど危険)、何もかもが許されている、または受け流されている感じがした。これは大阪の「かめへん、かめへん」と、沖縄の「なんくるないさー」がWパンチとなった結果なのかも、と勝手に推測した。

ちなみに私は、「地方でシャッター通りを見かけたら、千円以上出費する」というルールを自らに課しているのだが、ここで入ったお店はどこも接客が良いし、ヒマそうな船員さんも、寡黙ながら感じは悪くなかった。あと、缶飲料の自販機の大半は50円〜60円コーナーあり。オール80円以下もざら、スーパー玉出は常にタイムセール価格。きっと、プラスとマイナスを合わせれば、十分おつりの来る街だと思う。


ということで、いつも、どうでもよい部分や、どうにもならない部分ばかり気づいてしまう私が見た大正区レポートでした。BGMは、中島みゆきの「誰のせいでもない雨が」(アルバム『予感』収録)。月日、すべての悲しみを癒しますように。

[仕事]492・機械に負ける日が来ても

いつか離れる日が来ても

以前、ここで書いたことの繰り返しになるが、2年前から配信サイトでの選曲に携わっている。そのサイトは以前、レコード会社から提供された新曲音源をただ並べるだけだったのだが、番組出演情報や季節、時事ネタに沿った選曲、さらには新曲のみならず “記憶の名曲”となる旧作も配置すると、このダウンロード不況の中で確実に売上を伸ばすのだから、とてもやり甲斐を感じるし、日々の勉強にもなっている。

だが、囲碁や将棋がそうであるように、この選曲という業務もいずれすべてコンピューター任せになるのかもしれない。

(ちなみに私、人間対コンピューターが1勝3敗の記事を見て、悲観どころか「人間」が凄いと感動したクチ。だって、過去の勝負手を研究しまくった(というか、パクリまくった)コンピューター何百台分を駆使してでも、たった1人の人間が、時に勝ちうるなんて、夢のあるお話だと思いません?棋士の方ってホントに凄い!自分もそれくらい信頼されたいな〜(笑)。)

ただ、現状は、そのコンピューターに楽曲に関する情報を人の手で入れていく必要がある。発売年、製作者、歌詞、BPMなど単一的な情報は画一的に入力できるのだが、特に、感情ワード部分のフラグの立て方がまだまだ難しい。

実は、ある会社で楽曲データベース入力を手伝ったことがあるのだが、(実際に作業したアーティストは伏せておくとして)、例えば、吉田美和の楽曲って、別れの歌でも次の希望に繋がるものが多くて、その時に「切ない」や「明るい」にフラグを立てるかどうか、入力者によって分かれてしまう。また、逆に中島みゆきの歌で、困難に打ち克つような内容でも、その「困難」自体にダメージを受けて、「応援歌」とは思えず「暗い」の一点張りでフラグを立てる人もいそうだ。

しかも、同じ人でもその時の心理状態で感情的なキーワードがブレることもあるし、時流に乗って、その歌が結婚ソングや卒業ソングに生まれ変わるものもある。そういった部分のアップデートをことごとく実行するには、あまりに現状の人力では追いつかない。・・・という印象を私は抱いた。

とはいえ、いつか、そういった部分も機械的に自動入力していくツールが完成するならば、私のような仕事はもうなくなる、のかもしれない。

けれど、いつかコンピューターに負けたとしても、「あなたの、そのこだわりがいいんだよ」と選んでくれる人がいてくれたらいいなと思う。この15年間で、音楽を取り巻く環境は大きく変わり、この先もまだまだ時代は変わるけれど、音楽がある所に人がいることを忘れないでおきたい。そういえば、初音ミク、数年前は年間TOP200に数作入るほどだったのに、最近は殆ど聞かないな。。。(まず握手が出来ないのがシングルCDのヒットを持てないという問題もあるけれど汗)

ジャケットは、平井堅の2008年のシングル「いつか離れる日が来ても」。本作を含め、平井さんの歌は、時々、終わることしか思い浮かばない、だけど終わったとしても続く愛が描かれているように思う。

491・生真面目「が」好き

生真面目で好き

仕事で対談や取材の仕事があったり、また単にプライベートな仲間内で好きな楽曲を語るとき、自分の趣向が大衆が求める答といつも少しズレていることに気づく。勿論、人の感覚なんてバラバラだから面白いのだが、私の場合、いつも「それは分かるけど、1番じゃないんだよなぁ(この場では最適な答じゃないんだよなぁ)、、、」みたいな雰囲気を醸し出してしまうので、状況によっては、−例えば取材で時間がなくて1つしか答える余白がないなど−わざと自分の答を隠して、皆が望むであろう1番の答に寄せることがある。例えば、

中森明菜の80年代のアップテンポの名曲といえば、せーの→「DESIRE」と言うのが正解だろう。私も大好きだ。だけど、私の心の中でより言いたいのは「ミ・アモーレ」なのだ。決して“「TEENANGE BLUE」が、今世紀最強の名曲で、これが分からない奴はクズだ!”とか言い出す困ったチャンではないのだが(笑)、いつも2番手、3番手の曲が真っ先に浮かぶのだ。

同時代で、郷ひろみなら、せーの→「2億4千万の瞳」。もう正解は分かってる。だけど、自分が素直に答えるとしたら「素敵にシンデレラ・コンプレックス」となるだろう。

70〜80年代の岩崎宏美のアッパーな名曲なら、せーの「シンデレラ・ハネムーン」が最も大衆的だが、これも「決心」か、また歌謡曲ファンが多いなら「未完の肖像」と答えたいほどだ。

そもそも、松田聖子を差し置いて河合奈保子ファンを公言していること自体、世間からもズレている、と言われるのだろう。(ちなみに、私、聖子さんのオリジナルアルバムほぼ全作持っているので、キライな訳がない!あっ、ちなみにSMEの復刻仕事が殆どないのは、私が避けているのではなく、先方が社内人脈で済まされることが多い、というのが最大の要因です。)

そのズレる要因は、簡単に言えば「遊び」がないのだ。生真面目に楽曲の良さだけを追求しているというか。でも、より多くの人の心をつかむものは、やはりどこかくだけた表現や、親しみやすさが必要だったりする(ああ、これもここで何回も論じている中期奈保子作品のジレンマそのもの)。その余白って、こうした楽曲の浸透度のみならず、友達の作り方とかプレゼンの仕方とかにも現れているなぁ〜と、最近つくづく思う。

しかし。それぞれの問に対して、こういう自分の少しズレている感覚を理解しつつ、1番の答を把握するというのは、公私問わず様々なヒット現象を見つめてきたからだろうし、その意味で、データを見つめるという事は、(未熟とはいえ)謙虚さを備えるためにも重要なのかな〜とも思う。

ジャケットは石川優子の『生真面目で好き』。これもまた、彼女の資質や楽曲の特徴を端的に表した秀逸なタイトルだと感心する。

490・柏原芳恵「太陽は知っている」

1985年7月3日(ちょうど31年前!)に発売された柏原芳恵レギュラーシングルの通算22作目渡辺美里杉山清貴の同名異曲ではない。

80年デビューの中では奈保子第一党(微笑)の私ではあるが、この年の柏原芳恵は、大好きなシングルが揃っている。

穏やかなメロディーとコーラスワークながら、秘められた恋を歌う中島みゆき作詞・作曲の「ロンリー・カナリア」、テレサ・テンに続けとばかり叙情歌謡路線に突入した「待ちくたびれてヨコハマ」、そしてこの「太陽は知っている」の後が、高見知佳シングルB面曲の焼き直しだが、道ならぬ恋を切々と歌い上げたオリジナル色の高い「し・の・び・愛」と、(ワタシ的には)まさにエエトコドリだ。

だけど、この情報が溢れた時代に「太陽は知っている」に関する感想レビューが1件もヒットしないのは、あまりにも勿体ない。いや、芳恵さんの悪女路線=「ちょっとなら媚薬」「悪戯NIGHT DOLL」そして本作は、いずれも前作のセールスを大きく引き下げたので、需要が少ないのは重々理解している(あまりにもフィクションと思えないから?(汗))。だけど、需要のなさと、楽曲の完成度は別物なワケで、とはいえ当時のTOP10ヒットでもあり、やはり埋もれさせるには勿体無いので、私ごときが語ってみたい。


まず、当時のシンセサイザーど真ん中のイントロ(編曲は、この頃の彼女の楽曲に多い渡辺博也氏)。前年の彼女のアルバムでやたら評価の高い『ラスター』や、河合奈保子「微風のメロディー」「潮風の約束」のような涼しげな音色が好きな人なら絶対にハマりそう。コーラスが徐々に乗ってくるのも私が好きなパターンだ(笑)。

作詞は、松井五郎で、フランス映画『太陽が知っている』をもじった辺り、同年末の岩崎宏美『cinema』に継承されているし、女性詞だと狂おしさを出すのが絶妙な松井さんだけど、柏原芳恵というキャラを投影したのか、本作ではドライな恋愛観がさまになっている。

因みに歌詞はこちら

作曲は、83年の「夏模様」の成功に気をよくしたのか、2年ぶりに松尾一彦(当時オフコース)を起用。「夏模様」の穏やかさも素敵だが、静かなAメロから、徐々に昂ぶるBメロ、そしてサビでスパークするというダイナミックな曲想は、松尾さん本人も「夏模様」以上に気張っている。(気合いが入るほど、逆に売れなくなるのは、自作期直前の河合奈保子にも多数見られる現象ですね。。)

そして、こんなあれこれ特筆すべき楽曲を、柏原芳恵がいつもの涼しさと激しさを上手く使い分ける、独特な表現力で歌っていて、しかも遠目に見れば「あれ、口パク?」と思えそうなほど、レコード再現性の高い歌唱をTV番組でも披露していた。それだけ本人にハマっていたのだろう。

ということで、あまりご存じない方は、どこかで動画があれば堪能してみて(著作権でガッツリ生活させて頂いているので、非公式なものはリンクできません。でも、それが、購入のキッカケになる人がいる事も存じております。そこまで堅物でもないのです)。

気になった方は、Amazonで『 ゴールデン☆ベスト 』を覗いてみてください。レコチョクiTunesでも数十秒試聴できます。

489・音楽配信で歌謡曲の再発見

1ヵ月半ぶりの更新です。最近は、2016年上半期の市場レポートを媒体社やレコード会社向けにまとめたり、アンケート分析したり、空いた時間にも執筆を入れたりして、相変わらず仕事漬けです(笑)。Twitter等でも、連載のお知らせ以外、もっと気軽に書きたいんだけど、およそ音楽ファンとは思えない人に意図しない方向で断片的にさらされるが面倒で、「うーん、フリーで書いているのに、仕事以上に気を遣うのもヤダな〜(笑)」と思って、このブログもいい加減に書けないと思っていたら、1ヵ月半も経っていました(苦笑)。どうぞ、ここは私や音楽が好きな方の息抜きの場所になれば嬉しいです♪


さて、2年前から仕事で配信サイトの監修をしているのですが、主だったJ-POP部分の開拓は、こんな時代にも拘わらず、有難いことに売上増が続いているので、更に歌謡曲のテコ入れも始めています。その上位ラインナップはだいたい、レコチョクさんと同じなので、まずはこちらをチェックしてください。

http://recochoku.jp/genreranking/kayoukyoku-enka/daily/

謡曲の定義は、最近、大きく揺らいでいて、ここでも、小林明子など当時はニューミュージックで区分されていた楽曲が入ったり、他方、松田聖子工藤静香は新曲も歌謡曲としてランクインするなど、かなり雑多になっていますが、まあ全体として、40代以上の人が気負わず聴けるものが多いと思います。それは、それで一つの楽しみ方でいいんです。

また、定額聴き放題や人によっては「音楽に一切お金を払わない」と言ってしまう人もいるなかで、1曲の音源に対し250円(一部作品のプライスオフでも150円)を払うリスナーがちゃんといるのも嬉しい。それだけ楽曲にチカラがあるということなんでしょうね。ちなみに、このチャートの常連は、松田聖子中森明菜工藤静香坂本冬美美空ひばりテレサ・テンあたりで、今年になって沢田研二の各楽曲が急上昇してきました。それを眺めているのもまた楽しくなります。

だがしかし。この1年間欠かさず配信系の歌謡曲ヒットを見つめているのですが、河合奈保子の楽曲が週間どころか日間でも一向にTOP100に上がってこないんです。それが不思議。というか勿体無い(苦笑)。

※ここで注意しなくてはいけないのは、元々このチャートに現れない、歌謡曲出身歌手もいるということ。郷ひろみ西城秀樹、ちなきなおみ、太田裕美堀ちえみ石川秀美浅香唯あたりは、もともと当時の楽曲が配信されていないし、また山口百恵小泉今日子がないのは、メーカー側が「歌謡曲」ではなく「J-POP」のジャンルに意図的にカテゴライズしているので、ここに登場しないのですが、奈保子さんは歌謡曲区分なのに、一切ここにはないのです。本人が休業中だからと言われるかもしれないけど、ご覧のとおり、休業、引退、鬼籍の歌い手さんもバンバン入っています。

奈保子さん自体は、CDボックスやベストアルバムやライブDVDなどの音源や映像をまとめると、それこそ復刻系ではトップクラスのセールスになるので、むしろ再評価は進んでいる方なのですが、どうも、1曲単位で購入する人が少ない、極端に少ないのです。代表曲として比較的メディアで紹介されている「スマイル・フォー・ミー」や「けんかをやめて」くらい購入しても良さそうなものを(笑)。柏原芳恵なら、代表曲「春なのに」「ハロー・グッバイ」は勿論、(とても優れた楽曲と思いますが知名度的に)やや格下の「ちょっとなら媚薬」や「最愛」でも、ここではちゃんと入るのに。

まぁ、これも1曲じゃなく、もう一気に全部買ってしまいたいほど、河合奈保子は魅力のあるアーティスト、と捉えればいいのかもしれませんね(微笑)。実際に、当時からシングルセールスが同クラスのアイドル歌手に比べ、アルバムのセールスがすこぶる高かったのですから。

また、私自身も諦めが悪い人間なので(笑)、配信特集の選曲に、奈保子さんの「FOR THE FRIENDS」「モスクワ・トワイライト」「Sky Park」などの単曲や配信アルバム特集で『A面コレクション』を掲載して、釣竿を垂らしています(笑)。そうすると、他の歌謡曲出身歌手にも引けをとらずアルバムが買われるので、やはり音源だけでも魅力があるのが分かります。

ということで、これも一つの音楽の楽しみ方としてご紹介してみました♪

488・信頼のある関係に敬服

掛け値なく相手が良くなることを願って発言する方がいらっしゃる。いつか、その人徳のストックが、花開きますように。そして私も、そんな人に少しだけ追いつけますように。

487・「縁」と「一期一会」

一期一会

熊本・大分の地震、早く落ち着きますようにと心から願う。

さて、1月〜3月は、またまた忙殺されていた。執筆以外で、不特定多数の方に向けての文章はなかなか入力が進まない。Twitterは文章というより、単なる呟きだし(笑)、逆に言えばそんな風にスラスラと文章を書ける人が羨ましい!

で、そんな最中、3月にどうしても逢いたい人がいた。その方とはある時期懇意にさせてもらったのだが、昨年の春、急に海外転勤が決まり、「お別れ会」的なこともできないままに、遠くに行ってしまわれた。その方が、約1年ぶりに出張で日本に帰ってこられるというのだ。

ただ、今回は会社の用事が済み次第、またすぐに帰国しなければならないという。だったら、相対的にヒマな私の方が動いて、どこかで時間を作りましょうと提案した。これまでメールで何度もやり取りしていたが、実際に逢えた時に、もっとちゃんと伝えたいことが沢山あり、その日まで心はワクワクしたりドキドキしたり。・・しかし、実際は逢えなかった。私の方は仕事を早く繰り上げ、空港や宿泊先などで時間を合わせたのだが、それでも、どうしても逢うことができなかった。

その方からは全く時間がなかったと言われたが、真意は分からない。本当に数十分の余裕もなかったのかもしれないし、帰国中、連絡が取れなかったのも、Wi-Fi機能をONにするのを忘れるほど、多忙だったのかもしれない。また、実は多少の時間があったかもしれないが、重要な会議があると聞いていたし、その直前に人と逢うことがストレスだったかもしれないし、「同僚」「家族」など様々な案件の中で私に「逢いたい」と思わせる動機付けが欠けていたのかもしれない。ただ、「逢えなかった」という事実だけが残った。そして、それを恨むこともなく、所詮はそれくらいの「縁」しか私には結べなかったのかもしれない、と自分に言い聞かせた。

そんなことを考えて、年齢を重ねていくうちに「逢う」ことは、なんて難しいことなのかとあらためて実感した。

まず、時間の都合をつけることが難しい。仕事の都合、家庭の都合、30代後半から40代になると本当にこの辺のやりくりが大変だ。忙しく仕事をしながら、子育てや親の介護などに時間をかけている人とそうでない人とでは、この部分が全く異なる。また、中高年になると自身の健康状態も重要になってくる。体が丈夫でも「気が乗らない」ということがそれ以上に負担になることもあるだろう。

さらに、限られた自由な時間の中で、誰とどう過ごすか考えた上で、逢える相手を選ぶこともあるだろう。その時に、仕事のつきあいをからめた方が自身のスキルアップになるという考え方もあれば、むしろ仕事から解放された人と逢うことで、ストレスを発散できるという人もいる。それも人それぞれで、どちらが正しいとかはない。

そう考えると、やはり自分に「逢う」ことを選んでくれた相手には、いっそう感謝せねばと思えてくる。実際、そのうち「逢おう」と考えていたら、行方が分からなくなってしまったり、亡くなってしまわれたりも、普通にあるようになってしまった今の年齢、今の時代において、まさにそれが「一期一会」になることも多いのだと痛感させられる。

だから、「逢える」ことって実はとってもミラクルなのだ。