T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

491・生真面目「が」好き

生真面目で好き

仕事で対談や取材の仕事があったり、また単にプライベートな仲間内で好きな楽曲を語るとき、自分の趣向が大衆が求める答といつも少しズレていることに気づく。勿論、人の感覚なんてバラバラだから面白いのだが、私の場合、いつも「それは分かるけど、1番じゃないんだよなぁ(この場では最適な答じゃないんだよなぁ)、、、」みたいな雰囲気を醸し出してしまうので、状況によっては、−例えば取材で時間がなくて1つしか答える余白がないなど−わざと自分の答を隠して、皆が望むであろう1番の答に寄せることがある。例えば、

中森明菜の80年代のアップテンポの名曲といえば、せーの→「DESIRE」と言うのが正解だろう。私も大好きだ。だけど、私の心の中でより言いたいのは「ミ・アモーレ」なのだ。決して“「TEENANGE BLUE」が、今世紀最強の名曲で、これが分からない奴はクズだ!”とか言い出す困ったチャンではないのだが(笑)、いつも2番手、3番手の曲が真っ先に浮かぶのだ。

同時代で、郷ひろみなら、せーの→「2億4千万の瞳」。もう正解は分かってる。だけど、自分が素直に答えるとしたら「素敵にシンデレラ・コンプレックス」となるだろう。

70〜80年代の岩崎宏美のアッパーな名曲なら、せーの「シンデレラ・ハネムーン」が最も大衆的だが、これも「決心」か、また歌謡曲ファンが多いなら「未完の肖像」と答えたいほどだ。

そもそも、松田聖子を差し置いて河合奈保子ファンを公言していること自体、世間からもズレている、と言われるのだろう。(ちなみに、私、聖子さんのオリジナルアルバムほぼ全作持っているので、キライな訳がない!あっ、ちなみにSMEの復刻仕事が殆どないのは、私が避けているのではなく、先方が社内人脈で済まされることが多い、というのが最大の要因です。)

そのズレる要因は、簡単に言えば「遊び」がないのだ。生真面目に楽曲の良さだけを追求しているというか。でも、より多くの人の心をつかむものは、やはりどこかくだけた表現や、親しみやすさが必要だったりする(ああ、これもここで何回も論じている中期奈保子作品のジレンマそのもの)。その余白って、こうした楽曲の浸透度のみならず、友達の作り方とかプレゼンの仕方とかにも現れているなぁ〜と、最近つくづく思う。

しかし。それぞれの問に対して、こういう自分の少しズレている感覚を理解しつつ、1番の答を把握するというのは、公私問わず様々なヒット現象を見つめてきたからだろうし、その意味で、データを見つめるという事は、(未熟とはいえ)謙虚さを備えるためにも重要なのかな〜とも思う。

ジャケットは石川優子の『生真面目で好き』。これもまた、彼女の資質や楽曲の特徴を端的に表した秀逸なタイトルだと感心する。