T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

47・“どうせ”の向こう側に

 今月は、5日ほど余裕があったので、確定申告の準備でもしながら、溜まったCDや音楽記事をゆっくりと勉強がてら聞いたり読んだりしていようかな〜と思っていたら、日経エンタ!さんから大量の執筆依頼があったので、結局そちらに時間を費やすことに。


 一つは「歌姫100選」で、平成の20年間でヒットアルバムのあった女性ボーカリスト(グループを含む)を単純に上から100人絞って、一人ひとり解説を書いていくという仕事。公式サイトやWikipediaでプロフィール部分はあるものの、100人についてそのアーティストの特徴を140字でまとめたり、15字程度のリード文を100通り差別化するのって、やっぱり難しいことだと思った。日頃から本業の分析の方で何十通りものポジショニング・マップを作っていたことで、どうにか書き分けたけど、こういう仕事って自分にとっては女性ボーカルでなければ無理だな〜、やっぱり女性ボーカル好きなんだなぁ〜とつくづく思った。


 もう一つは、「アーティストの寿命」という、何年間TOP100に入り続けていられるか、というややデリケートな内容。私自身は、瞬発力=アーティスト力なんて全く思っていないし、むしろセールスが落ちた時にそのアーティストが無難に陥らず、果敢に音楽に挑戦している様子が見てとれて大好きなものが多いんだけど、これを読んだ人から「売れている=良い」作品と私が思っているように誤解されないか心配。時々、雑誌連載の「音楽チャート診断」について見ず知らずの人からご意見いただくのだが、「どうせ、チャート上位のアーティストが、前と比べて上がったかどうかとか、結局売上に“しか”興味がないんでしょ」と言われ、これだけ大量にアルバム曲まで聞いていても理解されないんだな、ととっても残念に思う。かたや、セールスのピークを過ぎたアーティストの企画やインターネットから知った人は、「どうせ落ち目(これまた失礼!)のアーティストを偏愛していて、ヒットを読んでいない」とか言われるし、その“どうせ”という言葉って、なんてお手軽に人を傷つけるんだと時々他人事のように呆れてしまう。是非とも“どうせ”の向こう側にいる私にも気付いてほしいし、その為には私自身がまだまだ勉強をしていくしかないんだろうなぁ。


 さて、その取材で、平井堅CHEMISTRYのブレイク時のプロデューサーである松尾潔さんに初めてお会いした。氏の“バカにされないポピュラリティーの創出”には、陳腐なアイデアでヒットを飛ばす人にはやっかみ気味(笑)の私でも、手放しで感心しっぱなしで、以前からお聞きしたかったことをあれこれ尋ねたのだが、その中で稲垣潤一『Unchained Melody』(筒美京平作品カバー集)の丁寧な作りについて色々感想を述べると、喜んでおられるようだった。そう言えば、以前、富樫明生(m.c.A.T.)さんにお会いした時もDA PUMPのある曲のテンポをシングルカップリングからアルバム収録に際して高速にした事にこだわったのでは?と尋ねた時、物凄く喜ばれたし、長尾大さんに浜崎あゆみの「TO BE」は、彼女の曲の中でも素晴らしい仕上がりだと感想を述べたら、「周りにはあまり売れなかったと言われ残念だったが、ちゃんと聞いてくれている人がいて嬉しい」と仰った。こんなメガヒットを飛ばしている人達ですら、“どうせ失敗作”という言葉で葬られた愛しい作品があるのだな、とつくづく思い、その止まない愛情に私自身とってもじーんとした。

 今手元に、高校生演歌歌手・清水博正くんのデビュー作、手嶌葵の映画カバー集、石野田奈津代のニューシングルなど、気に入ってよく聞いている音源があるが、どれも簡単には売れるとは思えない。けれど、たとえ“どうせ”という言葉で片付けられたとしても、心に響く音楽を大切にしていきたい。ヒットは記録と記憶の両面でみつめる。そのバランスこそがプロとして求められることだと思うから。