152・命のリレー
前回に続き、飯田久彦さんの取材で印象深かったことをもう一つ。
「思秋期」は「シェルブールの雨傘」をイメージして三木たかし先生に依頼したというお話が出たのだが(詳しくは 『Dear Frinds BOX』のライナーノーツをご参照ください!)、その「シェルブールの雨傘」、実はうちの母が赤ん坊の私にしょっちゅうハミングして聞かせていたという楽曲だったので、なんかゾーーーっとするほど驚いてしまった。
つまり、私が「思秋期」も一つのフックとしてヒロリンファンにどっぷり浸かってしまったのも、そしてその「思秋期」と雰囲気が似ている(勿論、これは人が憂いて優しいという奈保子メロディーの特長なのだ。パクリとかいう人は脳みそのシワが少なすぎるか、単なる僻目のスキャンダル好きだと思う)「ハーフムーン・セレナーデ」から河合奈保子にどっぷり浸かったのも、実際は記憶以前の幼少時から既に刷り込まれていた学習効果に過ぎなかったということだ。勿論、宏美さんでは「決心」も、奈保子さんでは「ジェラス・トレイン」も同じくらい好きなので、すべてが刷り込みではないのだが、これに限らず、まるで自分の趣味が自分らしさを求めた結果のように語ってきた過去が急に恥ずかしくなった(苦笑)。
でも、ずっと深いところで楽曲と楽曲が、そして人と人が繋がっていたかと思うと、なんだかとても嬉しい。今、家で時々「思秋期」と「ハーフムーン・セレナーデ」をゴッチャにして口ずさんでいるが(笑)、これが何十年かの時を経て、リレーされる日が来るのだろうか。名曲をバトンに想いが引き継がれれば幸せだな〜。