T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

379・サザン“バス”のお蔭で

HOTEL PACIFIC 心守歌-こころもりうた

今日、サザンオールスターズの再始動が発表されました。私、以前書いたかもしれませんが、彼らが所属するTAISHITAレーベルの分析仕事をキッカケにビクターさんに取り入ってもらえるようになり、そこから仕事を広げて6年後に宏美さんの紙ジャケ復刻に繋がっているので、今の独立も、事業の展開も、すべてサザンがキッカケだと自覚しております。50代バンドにして、若いリスナーが聞いているのは、親が聞いているから自然とその子供も聞いて、と思う方もいらっしゃいますが、そんな自然現象だけで若いリスナーが3割も4割もいる訳が無く、実際は常にスタッフが全世代に向けて情報発信をしているからであって、その意味でもその下支えになる分析もお役にたてているのかな〜と嬉しくなります。

で、そんな仕事をする直前までの2000年初、私はドップリ暗黒期に浸かってました。当時の上司に細かく怒られてばかり、年齢は30代半ばと若くないのに入社2〜3年目の為に仕事は雑用ばかり、それならばとコッソリ転職活動もしていました。採用試験では、学歴など履歴書の見栄えで、一次二次と合格するんだけど、いつも最終面接直前で落とされて悶々としていました。まぁ、今から考えたら、いくらペーパーテストで良い結果でも、なんの結果も出していない社員なんて取りたくないのでしょうけど。

とにかく、そんなどん底の中で、たまたまその上司さんが忙しかったこともあり、私のところに音楽周りの数字を分析する仕事が来て、通常の集計屋さんは良くも悪くもクールな分析をするのに対し、私は、その数字中心の分析に、音楽がどうのとか、若い子がどうのとか、地方がどうのとか、ほかの仕事で果たせなかった思いをぶつけて報告書を書いたら、それが先方の問題意識とうまく刺さって、そこからレギュラー的な分析がたくさん来るようになり、その後、それを核として独立するまでに至っています。実は、自分の提案で収録曲数とか特典とか発売形態とか、意外とTAISHITAレーベルの作品って、それ以前と以降で何気に変わっているんですよ♪(決して複数買いを奨励していませんが。)

ちなみに、最終面接直前まで進んでいた、Eコマースの某社は日本進出に失敗し撤退、BS系メディア某社は音楽事業部門を解散と、もしその後採用されていたら、もっと大変な状況になっていたかと思うと、人生って不思議なものだと思います。

ということで、今後も良いチャンスに巡り会えるように、日頃から種を蒔いておこう、そして、状況から逃げているのか、状況を追っているのか見極めて進みたいな〜と改めて思いました。ジャケットは、私が分析を始めたサザンのシングル「HOTEL PACIFIC」と、そんな悩みとシンクロした中島みゆき「あのバスに」収録の2001年のアルバム『心守歌』。この歌が大好きだったことからも、岐路についてあれこれ悩んでいたんだなぁ〜ヨシヨシという気分になります♪