T2U音楽研究所~はてな置き場(旧:私を支える音楽と言葉)

T2U音楽研究所/臼井孝のはてな版です。

421・銀の龍の背に乗った日〜与那国島へ

十二単~Singles 4~ (初回限定盤) (ALBUM+DVD)

今週1週間にわたって、フジテレビでは『Dr.コトー診療所2006』が再放送されていた。それを見て、08年の初夏、そのロケ地である日本の最西端、与那国島へ行ったことを思い出した。

もともと中島みゆきファンであることから主題歌「銀の龍の背に乗って」が起用されたドラマを見るようになり、またそのドラマは富良野塾出身の吉田紀子氏が脚本を手がけているだけあって、どの登場人物もなんらかのトラウマを抱えている、という私がベタハマリするパターンで、あぁいつか行ってみたいなとずっと思っていたのだ。

ただ、実際に行ってみて、一つ気になったことがあった。それは、この島で出会った人、具体的には旅館、レンタカー、ガソリンスタンド、スーパー、商店、喫茶店、食堂、博物館の接客した人がみな無愛想だったことだ。沖縄の別の地方では、こちらが逆に心配するほど、損得勘定抜きでサービス旺盛なので、私のキャラの問題ではないと思うのだが、精算した後、「あれっ?“ありがとうございました”は忘れているのかな・・・?」と驚くことが頻繁にあった。

しかし、この島が沖縄の他の地方とは異なり、薩摩藩琉球王国の二重税で止むなく人を間引いたり、台湾と沖縄との密輸中継地点として人口が急増急減したり、あるいは海流が激しかったり日差しが強かったり、山や崖が険しかったりと、とにかく厳しい歴史や自然に晒されてきたことで、サービスをする暇があれば我が身を守るべきという島の言い伝えなのか、それとも単に近年の“Dr.コトーブーム”で島を荒らされることに辟易した島民たちのレジスタンスなのか、はたまたフランチャイズが一切入ってきていないことから、「買いたくなければ買わないで結構」という殿様商法なのか、単に過疎の町ゆえの閉塞感なのか、それともこれらをひっくるめた苦難すべてが作用しているのか、とにかくこの点は、ほかの島のような人々との触れ合いを期待して訪れるとガッカリするかもしれない。(逆に、泉谷しげるのように口うるさいオヤジしかいない、くらいに覚悟していけば良い印象が強いかも(笑)。)

とはいえ、それらが差し引かれて大量のおつりが出そうなほど、ここの絶景は国内最上級だと思う。ドラマに出ていた通り、海あり、山あり、懐かしい民家あり、断崖ありと、心を動かされる風景の数々で、6年経った今ドラマを見返しても、「あぁ、ここ行ったなぁ」「ここは綺麗だったなぁ」と想いにふけるほど印象的な場所が多いのだ。(例の石造りの診療所の上にも登った。こういったミーハー的行動は殆どない私が動いてしまうほど、島はわくわくランドなのだ。)

そして、島を離れる日、週に2回の連絡船のためか、誰かが誰かを名残惜しそうに見送っていて、こちらまで目頭が熱くなった。さらに、だんだん島を遠ざかって、船の走った跡を見ると!!

なんと、真っ青な海に白波が連なっていて、まさにそれが“銀の龍”!!思わず声を上げそうになった。この歌のエピソードについて、中島みゆきが「船が波を切ってできる白波」だとどこかで語っていて、ふーん、そういうものなんだ〜とおぼろげに感じていたが、実際にこの青々とした海と激しく照らす太陽でそれを見ると、太い白波がまるで銀龍の体のように生きているようだった。もしこれが北海道とか瀬戸内海の島の話だったら、イマイチ説得力に欠けるのだが、沖縄、しかも、この南西端だからこそ、“銀の龍”なんだ〜!!と、そしてその龍の頭には、離島だからこそ誰かを助けるために船に乗る人がいるんだ〜!!と、またもや中島みゆきの描写力に驚いた。

という感じで、あのドラマにハマった人であれば、生きているうちに一度は立ち寄ってほしい島なのだ。それまでの間は、シングル集『十二単〜Singles4〜』収録の「銀の龍の背に乗って」でも聴いていていただければ。島に行ってから、この歌の深さが3倍は伝わるようになったと思います♪